結婚指輪をください

2017年24歳になります。

学歴社会って悪いこと?

わたしは悪いことだと全く思わない。学歴社会のどこが悪いの?嫌なら自分も学歴つければいい話だと思う。

 

思っていることをバーーーーっと書きます。

 

学歴社会って公平だと思うのはわたしだけでしょうか。身分も家柄も関係ない。本人の努力次第で道が開ける。家の都合でお金がないから大学に行けなかったって意見もあるでしょう。奨学金を借りるということを考えなかったのか聞きたい。大学に行くために勉強外の努力をしたのかと聞きたい。這いつくばってまで大学に入るために努力をしたのだろうか。「お金がない」から諦めるって絶対にわたしだったらしない。そもそもその感覚がわからないだろって言われそうだけど、そこは「はい」と言います。お金がないから何かを諦めたことがないので全くわかりません。今後一切分かりたくもありません。

 

学歴じゃなくて中身を見て欲しいっていう人多いけど、どうやって見るの?例えば就活の時なんて、面接時間は少ないしESだって何百人、企業によっては何千人のを読むわけでしょ。その時間違いなく読まないESも出てくると思う。そしてその読まないESは間違いなく「Fラン大学」。なんでわざわざFラン大学を取るの?だったら優秀な大学から取りたい。たかが20分とかの面接で知れることなんて限られてる。中身なんていくらでも取り繕える。だけど、「学歴」は取り繕えない。実績だから。不動のものだから。頑張ってきた証だから。

 

学歴社会が嫌なら、学歴関係ない所で勝負すればいいじゃん。フィールドを変えればいいじゃん。なのに「学歴が〜」「これだから学歴社会は〜」って。正直学歴がない人の文句なんて全く心に届かない。

 

勉強よりも働け!という主張もあると思う。わたしは。働くよりも勉強しろ!と言いたい。上位大学に入って学んで、そこでバイトなり適度に働けばいいと思う。大学入るまでバイトもしなくていいと思う。もちろん、バイトしながら勉強出来るなら素晴らしいけど。わたしは高校生で働くっていうこと考えたことなかったので。それぞれ事情はあるから、それに沿って、でも、勉強はした方がいい。知識は力。知識は力。何度だって言う、知識は力。

 

結局勉強してこなくて今文句言ってる人たちって、自分で諦めた人たちでしょ。どんな状況であろうと、出来たとわたしは思う。だって自分の人生でしょ。周りの状況に負ける程度の気持ちだったってことでしょ、とわたしは思います。

 

高卒でも素晴らしい人はいる。それは間違いない。でも今の日本、大学全入時代と言われているのになぜ大学に行かなかったのか疑問でしかない。上位大学に越したことはないけど、Fランでも「大学」に入るべきであったと思う。「高卒」と「大卒」じゃ生涯年収も違うし、経験値も全然違う。大学、特に上位大学卒ってそれだけでステータスなんだよ。自分が頑張って勉強すれば手に入れられるのに、どうして手に入れないんだろう(興味がない場合は除く)。結局は「負け犬の遠吠え」でしかない。

 

結局は本人のやる気次第なんだろうなあ。やる気がある人間は言わなくても勝手にやって上に行くし、やる気のない人間はどれほど環境を整えてお膳立てした所でやらない。わたしは(自分の考える)いい人生を送りたいからここまで学歴つけた。学歴は消えないし、ステータスだから。学歴は自信です。知識は力です。頑張ってきた証です。最後は学歴がものを言う。学歴ほど明瞭なものはないんじゃないかな。わたしはそう信じてる。

 

こんなことを言ってると、きっと親からの教育が〜って言われそうだけど、親から勉強に関してうるさく言われたことはない。進路についても。進みたいように、とは言われた。強制されることは何もなかった。兄弟も大学には行ったし、ただ学歴が1番大事とは思っていないと思う。そんな会話したことない。ただ、わたしがこれまでの人生で学歴って大切だって思ってここまで学歴に対して、学歴社会に対しての考えがあるってだけ。その考えが間違ってるだなんてこれっぽっちも思っていません。

 

ハイステータスの人間と関わるのには自分がハイステータスになるのが一番早いと思う。何かを動かすには、上にいることは必須条件だと考えてる。力無き者の改革は進まない。上の世界を見るには上に行くしかないんだよ。下を見て何が生まれるの?「わたしには関係ないや」で終わる。

 

バーーーーって書いたから読みにくいけどそのままで。

 

 

 

羽柴ねね

 

 

「院生」という時期

 

私は「院生」である。2017年4月でM2になる。「院生」である今の時期を尊く思っている。かけがえのない、とても大切な時期だと思っている。

 

けれど、世間の印象はどうやら異なるらしい。

「何をしてるの?」と聞かれ、「院生です」と言った時、

 

・2年間余分に遊んでるんだね

・親のすねかじってるんだね

・毎日暇なんだね

・遊んでその後いいお給料もらえるのはいいね

・女の子なのに進学したんだね

 

との言葉を投げかけてくる人が多い。

 

それに対し、反抗する気も起きず「そうですね〜」「そうなんですよ〜バレちゃってますね(笑)」と答えている。めんどくさい。ただ、めんどくさいのだ。そのような印象を抱いている人々に対して、「実は」話をしても信じてもらえないことが多い。笑顔で済ますことを一番に考えてしまう。

 

「2年間余分に遊んでるんだね」と言ってくる人には、馬鹿を言いなさるな、と言いたい。遊んでいない。データ処理に論文に、レポートに追われている。確かに、社会人と比較すれば「遊んでいる」との印象は受けやすいかもしれない。身分は学生なのだから。しかし、「遊んで」はいない。論文を読み、書き、数字と戦い、統計をかけ、指導教官に「違う。もう一回考え直せ」「何が言いたいのか分からない」「このテーマは学部生だって出来る」「研究マインドが足りない」「研究って何だか分かってるのか」など日々フィードバックをいただいている。くそう、と思いながら日々闘っているのだ。決して「遊んで」はいない。

 

「親のすねかじってるんだね」と言ってくる人には、そうです!と胸を張って言いたい。親のすねをかじっています!間違いありません!だからこそ、とても両親に感謝している。それだけの資金があるから大学院で学んでいるのだ。もちろん、家賃や学費、自分で出している院生もいる。だから、誰もが親のすねをかじっているとは思われたくはない。先ほども述べたが、親のすねをかじっていることは間違いない。ただ、我が家にはそれだけの資金があり、娘を大学院に行かせても生活に全く困らない家庭なのだ。親も納得している。それなのに、なぜ外野から「親のすねをかじっている奴」として見られなければいけないのか。外野には全く関係のないことである。要するに、黙れ。

 

「毎日暇なんだね」と言ってくる人には、心から反論したい。暇じゃねえわ。決して暇ではない。先ほども述べたが、課題や論文を書いたりしており暇ではない。教授の手伝いもある。社会人が土日があるように、院生にも土日がある。暇な時ももちろんある。だが、「毎日暇」ではない。教授の講演会や、学会に行くこともある。土日がないことも、院生室にこもる時も多くある。ただ、学部生の延長として院生を考えて「毎日暇」としているのなら、学部生と院生は別物だと考えて欲しい。

 

「遊んでいてその後いいお給料もらえるのはいいね」と言ってくる人には、いいでしょう!ねえ!いいでしょう!と自慢げに言いたい。ただ、前半の「遊んでいて」という所には反論したい。何度も何度も述べているように、日々遊んではいない。研究を、勉強をしているのだ。その対価として、卒業後いいお給料をいただくことが出来るのだ。私の就職先では大卒と院卒では初任給が2万円ちょっと異なる。月々2万円多いのは生涯年収で考えると大きな差である。ただ、その分学んだのだ。専門知識を、理論を、そして応用を学んだのだ。その対価がお給料である。そんなに皮肉るのなら、院卒になったらどうだ!と言いたい。いいお給料いただいて何が悪い。

 

「女の子なのに進学したんだね」と言ってくる人には、ダメですか?と質問したい。女の子が大学院に行き、学びを深めては、研究をしてはいけないのですか。私は、学歴は武器であると考えている。自分を守り、自分の価値を高めてくれるものだ。学歴は男性のものだけではない。女性だって学を積んでいい。世は平成である。学歴だって一種の資格だ。大学院卒業という資格を持つことで世界が広がる。thank you, 院!

 

 

大学院生であることを私は誇りに思う。2年間自分の興味ある分野で学べることを大変嬉しく思う。この人生で良かったと心から思う。院生は遊んでるだなんて、言って欲しくない。頑張っている院生は多くいる。私の周りには、そんな研究熱心な院生が沢山いる。そんな姿を見て、まだまだだなあと感じることが多い。頑張ろうと、思わせてくれるのだ。

 

「院生は遊んでる」と言われる度に、頑張っている仲間のことが頭をよぎる。訂正したくても、何度も何度も「遊んでる」と言われ訂正する気が無くなってきたのが事実である。そう思っててください、どうぞどうぞ、と思ってしまう。どうせ言っても伝わらないんだろうなあ、と思ってしまう。

 

だから、せめて、blogという不特定多数が見る場で言わせて欲しい。

 

院生は遊んでなんかいない。毎日暇なんかじゃない。

 

少しでも院生を見る目が変わってくれたらいいなと思います。

 

 

羽柴ねね