結婚指輪をください

2017年24歳になります。

ぐるぐるの感情を言語化

私のしたいことは何なのか

私の望んでいることは何なのか

目標はどこなのか

どうして今を生きてるのか

 

最近そんなことを考える。私のこれまでの人生における選択は合っていたのだろうか。自信を持って色々なことを選択してきた。心の羅針盤に従って、自分の信じる道を進んできた。別に揺らいでいるわけではない。今の生活に不安を抱いているわけでもない。ただ、ただただ疑問に感じるだけである。

 

「私の本当にしたいことって何?」

 

幸いなことに、就職は院1年次に決まり、後は論文を書いて卒業するだけである。将来は決まっている、約束されている。狭き門をくぐり抜けた自信はある。その職業が自分に合っているとも感じる。だけど、これって、本当に私のしたい仕事なの?不満でもない、将来への不安でもない、だけどふと感じること。

 

本当はね、お笑い芸人になりたい。吉本に入りたい。タレントになりたい。女優になりたい。スタイリストになりたい。マネージャーになりたい。9割強で、芸能界に関わりたい気持ちが強い。だけど、進む勇気がなかった。今までの不自由なく過ごしてきた環境とか、将来への周りからの期待とか、全部手から離せなかった。周りが悪いとかじゃなくて、ただ単に私が選択出来なかっただけの話。

 

今の生活が誤りだったとは微塵も思わない。大学院に進んでよかったと心から思う。誰もが進める道じゃないし、就職先だって、何年も受け続ける人達がいる中で1発で受かったし、周りの人達の笑顔も見れた。適性だってあると本当に思う。

 

だけど、これでいいのかなって思いが心の端の方で主張する。「人生1度きりなのにいいの〜」って。

 

先日ね、カメラマンさんに写真を撮ってもらうことがあったの。野外撮影で、お着物で。色んな角度で、表情で、太陽の下、すごく気持ちよかった。考えてみれば、小さい頃から写真屋さんに撮ってもらうの大好きだった。お着物で撮ったり、ドレスで撮ったり、制服で撮ったり。シャッター切る間に、ちょっとメイクさんが直してくれるのも大好きだった。カメラマンさんが褒めてくれるのも、シャッター切る音も大好きだった。

 

スタイルいいわけじゃないし、顔だってモデルさんみたいに可愛いわけじゃない。だけど、撮影中楽しくて、出来上がった写真もいつもより可愛いんじゃないかって思えて。

 

この世界で生きて生きたいって、小さい頃は考えてた。

 

いつしか、その夢を心の底に閉まって、現実味のある夢を上に被せてた。その仕事だって、なりたいと思ってた。心からなりたいか、って聞かれたら頷くことは出来ないけど望んだお仕事。その職業になれる喜びはあるけど、やっぱり、これでいいのって思ってしまう自分がいる。

 

何なんだろう、これは。

 

何度も何度も繰り返すけど、自分の人生における選択が間違ったって思ったことは一度もない。正解を選んできた自信しかない。自分で選んだ道ばかり。でも、なんか、物足りない。かといって、踏み出す勇気もない。きっと、このまま、進んでいくんだと思う。それもいい。私の選んだ道だから。私が選択した道だから。

 

ぐるぐるの感情を言葉にしたらちょっと光が見えた。すっきり。言語化するって大切だね。

 

 

 

羽柴ねね

 

「院生」という時期

 

私は「院生」である。2017年4月でM2になる。「院生」である今の時期を尊く思っている。かけがえのない、とても大切な時期だと思っている。

 

けれど、世間の印象はどうやら異なるらしい。

「何をしてるの?」と聞かれ、「院生です」と言った時、

 

・2年間余分に遊んでるんだね

・親のすねかじってるんだね

・毎日暇なんだね

・遊んでその後いいお給料もらえるのはいいね

・女の子なのに進学したんだね

 

との言葉を投げかけてくる人が多い。

 

それに対し、反抗する気も起きず「そうですね〜」「そうなんですよ〜バレちゃってますね(笑)」と答えている。めんどくさい。ただ、めんどくさいのだ。そのような印象を抱いている人々に対して、「実は」話をしても信じてもらえないことが多い。笑顔で済ますことを一番に考えてしまう。

 

「2年間余分に遊んでるんだね」と言ってくる人には、馬鹿を言いなさるな、と言いたい。遊んでいない。データ処理に論文に、レポートに追われている。確かに、社会人と比較すれば「遊んでいる」との印象は受けやすいかもしれない。身分は学生なのだから。しかし、「遊んで」はいない。論文を読み、書き、数字と戦い、統計をかけ、指導教官に「違う。もう一回考え直せ」「何が言いたいのか分からない」「このテーマは学部生だって出来る」「研究マインドが足りない」「研究って何だか分かってるのか」など日々フィードバックをいただいている。くそう、と思いながら日々闘っているのだ。決して「遊んで」はいない。

 

「親のすねかじってるんだね」と言ってくる人には、そうです!と胸を張って言いたい。親のすねをかじっています!間違いありません!だからこそ、とても両親に感謝している。それだけの資金があるから大学院で学んでいるのだ。もちろん、家賃や学費、自分で出している院生もいる。だから、誰もが親のすねをかじっているとは思われたくはない。先ほども述べたが、親のすねをかじっていることは間違いない。ただ、我が家にはそれだけの資金があり、娘を大学院に行かせても生活に全く困らない家庭なのだ。親も納得している。それなのに、なぜ外野から「親のすねをかじっている奴」として見られなければいけないのか。外野には全く関係のないことである。要するに、黙れ。

 

「毎日暇なんだね」と言ってくる人には、心から反論したい。暇じゃねえわ。決して暇ではない。先ほども述べたが、課題や論文を書いたりしており暇ではない。教授の手伝いもある。社会人が土日があるように、院生にも土日がある。暇な時ももちろんある。だが、「毎日暇」ではない。教授の講演会や、学会に行くこともある。土日がないことも、院生室にこもる時も多くある。ただ、学部生の延長として院生を考えて「毎日暇」としているのなら、学部生と院生は別物だと考えて欲しい。

 

「遊んでいてその後いいお給料もらえるのはいいね」と言ってくる人には、いいでしょう!ねえ!いいでしょう!と自慢げに言いたい。ただ、前半の「遊んでいて」という所には反論したい。何度も何度も述べているように、日々遊んではいない。研究を、勉強をしているのだ。その対価として、卒業後いいお給料をいただくことが出来るのだ。私の就職先では大卒と院卒では初任給が2万円ちょっと異なる。月々2万円多いのは生涯年収で考えると大きな差である。ただ、その分学んだのだ。専門知識を、理論を、そして応用を学んだのだ。その対価がお給料である。そんなに皮肉るのなら、院卒になったらどうだ!と言いたい。いいお給料いただいて何が悪い。

 

「女の子なのに進学したんだね」と言ってくる人には、ダメですか?と質問したい。女の子が大学院に行き、学びを深めては、研究をしてはいけないのですか。私は、学歴は武器であると考えている。自分を守り、自分の価値を高めてくれるものだ。学歴は男性のものだけではない。女性だって学を積んでいい。世は平成である。学歴だって一種の資格だ。大学院卒業という資格を持つことで世界が広がる。thank you, 院!

 

 

大学院生であることを私は誇りに思う。2年間自分の興味ある分野で学べることを大変嬉しく思う。この人生で良かったと心から思う。院生は遊んでるだなんて、言って欲しくない。頑張っている院生は多くいる。私の周りには、そんな研究熱心な院生が沢山いる。そんな姿を見て、まだまだだなあと感じることが多い。頑張ろうと、思わせてくれるのだ。

 

「院生は遊んでる」と言われる度に、頑張っている仲間のことが頭をよぎる。訂正したくても、何度も何度も「遊んでる」と言われ訂正する気が無くなってきたのが事実である。そう思っててください、どうぞどうぞ、と思ってしまう。どうせ言っても伝わらないんだろうなあ、と思ってしまう。

 

だから、せめて、blogという不特定多数が見る場で言わせて欲しい。

 

院生は遊んでなんかいない。毎日暇なんかじゃない。

 

少しでも院生を見る目が変わってくれたらいいなと思います。

 

 

羽柴ねね